五所神社

祭神

天照大神(あまてらすおおかみ)

御神徳:勝運、国土安泰、福徳、開運、高天原の主宰神

素戔嗚尊(すさのおのみこと)

御神徳:五穀豊穣、学問上達、文学、水難、火難、病難除去、縁結び、防災除疫

大山祇神(おおやまづみのかみ)

御神徳:山の神、海の神、軍神、農林業、酒造の神、鉱業など山に関する諸産業の神

建御名方命(たけみなかたのみこと)

御神徳:五穀豊穣、交通安全、国土安穏、武運長久、盛業繁栄、開運長寿

崇徳院霊(すとくいんのみたま)

第75代天皇

歴史

五所神社の鎮座地「材木座」は、古くは材木座村の一村でありましたが、後に乱橋(みだればし)村と材木座(ざいもくざ)村に分かれていました。明治二十二年(1889)この二つの村が再び合併し、大字乱橋材木座となり鎌倉郡西鎌倉村の一部となりました。後の明治四十一年(1908)七月、乱橋村の鎮守であった三島神社の地(現在の五所神社の地)に材木座村の鎮守諏訪神社(現 材木座五丁目)、乱橋村能巌寺部落の八雲神社(現 材木座四丁目)と金毘羅宮(現 材木座四丁目)、材木座村中島部落の視女八坂社(見目明神・現 材木座六丁目)の四社を合祀し五所神社と改称しました。

合祀時には、諏訪神社本殿を移建しましたが、大正十二年九月一日の震災時に山崩れで埋没し全潰しました。現在の社殿は、昭和六年(1931)七月に新築したものです。

祭事

一月十一日
汐祭り
材木座海岸にて
四月十五日
祈年祭(春季小祭り)
境内
六月第二日曜日
例大祭
境内/町内お神輿渡御 前日 宵宮祭
例大祭三日目
(火曜日)
三ツ目神楽
境内
十一月二十四日
新嘗祭(秋季小祭り)
境内

文化財

  • 鳥居

    以前は本殿手前の石段の前に設置していましたが、大正十二年の関東大震災により倒壊破損したため、昭和九年に現在の場所に移設されました。

  • 狛犬

    大正五年に小坪トンネルを堀削した際の残土を材木座三丁目の湿地帯に埋め立てました。その地主たち十三名が寄進したものです。狛犬は魔よけとして、また神様のお使いとされています。

  • 三光尊石上稲荷

    古来は豆腐川の河口に鎮座。ここにお祀りしている石は『石上さま』といわれ、漁師の網を切ったり、船を転覆させたり、海水浴客を溺れさせたりといろいろといたずらをする石であったそうです。その後陸に引き揚げられ、昭和九年五月二十一日に補陀洛寺第三十三世光照上人により現在の名を授かり、昭和十二年四月に石祠を建立し、海上安全の守護神としてお祀りしています。

  • 板碑(石造板塔婆)

    弘長二年(1262)銘があり、昭和十六年七月十七日に国指定重要美術品に認定、昭和四十六年九月十一日に市指定有形民俗資料に指定されています。板碑の多くは秩父片岩ですが、この石質は雲母片岩であり非常に特徴的です。彫り込まれている文字は、梵字の様に見えますが、剣に巻き付いた龍を表現した大日如来をあらわしており、その意味は『大日変じて不動となる』というもので不動信仰を表した鎌倉唯一の文化財です。

  • 手玉石(かめ石)

    通称黒石と呼ばれ、重さ三十貫目あります。他に赤石と呼ばれる重さ四十貫目の石がありましたが、終戦間際の道路拡張の際に海岸近くの井戸に埋められてしまったといわれています。古来、この石で力比べをしていたと伝えられています。

  • 疱瘡ばあさんの石

    古くは見目明神の境内にあったものです。その昔疱瘡(天然痘)から身体を守るために、身体をこすりつけ祈念していたと伝えられています。

  • 旧諏訪神社の古祠

    合祀前の旧諏訪神社の跡地に住居を構えた者が、屋敷神として祠を建てお祀りしていましたが、お祀りする後継者がいなくなったため、昭和五十四年に移設されました。

  • 旧諏訪神社に併設の石碑

    当時材木座の芝原に別荘を構えていた大阪株式取引所(現・大阪取引所)の第二代頭取であった吉田千足(よしだちたる)の書による記念碑。神社参道の敷石など寄付者の氏名が記されています。

  • 山岳信仰道場

    明治二十三年頃、国家神道による山岳信仰が認められ、神話上の名を刻んだ塔碑や記念碑が神社に建てられるようになりました。

  • 摩利支天

    像は、三面六臂の椎型兜をかぶった武神が猪にまたがり、その六本の手には、剣、矢、金剛杵、軍配団扇、弓、槍先が三つに割れた矛を握っています。もとは天竺の神でありましたが、仏教に取り入れられ守護神となりました。拝するものは、『人から姿を見られず、悟られず、罰せられず、財を取られず』その願いを成就できると信じられています。この体をなした摩利支天は、日本で十二体しか存在していないそうです。

     

  • お春像

    『天和四』と掘られていることから一六八四年(徳川幕府五代将軍綱吉の初期の時代)一月から二月に造られたであろう石像と思われますが、その目的は未詳。その様子から隠れキリシタン殉教の像と伝えられています。

  • 庚申塔

    境内に建てられている庚申塔は、乱橋村と材木座村各村の道端や辻にあったものを明治九年(1876)の政令により集められたものです。帝釈天(昭和四十年 鎌倉市指定有形民俗資料指定)、阿弥陀如来、猿田彦神、青面金剛像、庚申塔、馬頭観世音、道祖神の計19基が祀られています。

     

  • 神殿(本殿)

    合祀時には、諏訪神社本殿を移建。その後大正十二年九月一日の震災時に山崩れで埋没し全潰したため、昭和六年(1931)七月に新築したものです。

  • 神輿庫(天王堂)

    昭和四十七年建造。材木座ではお神輿のことをお天王様と呼ばれていたため、別名天王堂と呼ばれています。神輿庫には合祀時に各神社から集められた三基の神輿が鎮座しています。向かって右手より一番様(旧諏訪神社 江戸末期建造・鎌倉市指定有形民俗文化財)、二番様(旧牛頭天王社 弘化四年(1847)建造)、三番様(旧見目明神社 弘化四年(1847)建造)となります。